ひさほゆうの リアルタイム世界遺産旅行記
なだらかな丘陵に様々な遺跡
そこからは輝いた黄金の装飾が見つかった
ここは古代マケドニア首都アイガイ
おはようです。
ちょっと体調がよくなった。
まだ相変わらず咳は出るけど、昨日ほど喉も痛くないし。
ということで早速観光へ。
まずはテッサロニキのバスターミナルへ向かいました。
これが街の郊外にあるために市バスでないといけないんだよね。
バスターミナルへ到着してから早速切符を買って。
ついでに明日の移動の時間も確認。
そしてすぐにバスは出発。
向かうはヴェリアという街です。
まあ、早速寝たのは言うまでもありませんが。
ふと起きた時に周りの様子がおかしい、、、えええ。
なんと大雨。
バスもワイパーが追い付かないくらいの大雨なんですよ。
これじゃ観光できないよ。。。
とりあえずヴェリアに行ってからどうするか考えますか。
と思っていら、ヴェリアに到着したらなんと雨やんだし。
さっきまでの大雨は何だったんだよ。
そしてヴェリアのバスターミナルで今度はヴェルギナ行きのバスに乗り換えました。
一日に数便しかないために数時間ぐらい待つのかと思ったら。
15分後に出発。
ナイスタイミングだったよ。
こうしてヴェルギナへ到着しました。
街の中心部ではなく少し過ぎた場所で降ろされると目の前には低い大きな丘が。
これこそ世界遺産「エゲの古代遺跡(現在名ヴェルギナ)」です。
実はここは数十年前まで誰も知らない場所でした。
しかし、北ギリシャの歴史に人生をささげたアンドロニコス教授によってこの小さな丘に古墳が眠っていることが判明。
しかも調査のすえ、これが古代マケドニ ア王国フィリッポス2世のものだと判明したのです。
フィリッポス2世とはオリエントを支配し大帝国を築きあげたアレクサンドロス大王の父親。
アレクサンドロスがギリシャからインドにかけて巨大な国を作りあげた基盤はこのフィリッポス2世にあったのです。
フィリッポス2世はポリスとして栄えそして衰退していたアテネなどを同盟により配下に加えたのである。
そしてギリシャ帝国への侵攻をしようと準備をしていた際に首都アイガイの劇場で暗殺されてしまうのである。
こうして息子に権力がわたりそのまま巨大帝国を手にするのであった。
心筋症胸の痛み
この古墳がフィリッポス2世のものだとわかりここが首都アイガイである可能性が高くなったのである。
この発見により古代マケドニア王国の歴史が大きく変わった。
それとともに様々な出土品が未盗掘のまま発見されたので、当時の文化が鮮明に浮かびあがってきたのである。
こうして、古代マケドニアの文化・風習をそのまま保存するヴェルギナの考古遺跡は世界遺産に登録されたのである。
小さな丘は中に入れるようになっており、早速そこに向かってみました。
中に入るとそこは博物館になっています。
この古墳から見つかった装飾品が展示されていて。
それは多種多様にわたりここに眠っていたことを示しています。
青銅の剣に鉄の甲冑
銀の食器や陶器の食器
などなど、古代マケドニア王国がこれほど繁栄していた事実を証明しています。
もういろいろありすぎてよくわからなくなってくるぐらい。
でも見ていて面白いです。
たとえば、食器関係はなぜかほとんど小さい。
日本でいえば醤油をたらす小皿ぐらいほとんどの食器がその大きさなのです。
水がめも頭の大きさぐらいで。
今まで見てきた古代遺跡はほとんど大きいかったのに対して、ここは小さすぎるのです。
他の文明と違い独自の食生活があった証拠でしょうか。
あと、金属の種類が豊富だったということ。
青銅、鉄、銀、金と様々な金属を使用しているのが見てとれます。
青銅と鉄は主に武器に使用されており、鉄兜なども存在します。
、、、あれ頭にかぶるとその重さで動けなくなりそうですけど。
あと、何あの盾。
体半分以上がすっぽり収まるぐらいの大きさがあります。
この強固な武器がオリエント統一をなしえ原動力なのでしょうか。
武器も様々あっていろんな用途に使われたことを実感します。
そしてこの博物館で最も輝く物こそ黄金の王冠です。
実は古代マケドニア王国は黄金の王国でもあるのです。
古代マケドニアの遺跡からは様々な黄金が発見されました。
このヴェルギナも例外ではなく黄金の箱や黄金の王冠も発見され� �のです。
王冠と言っても今まで見てきた王冠とはちょっと違うかんじで。
性的な性能も不安を克服する
マラソンの優勝者によくオリーブの葉を巻いた冠をかけますが、それをそっくりそのまま黄金で表現してあるのです。
オリーブ意外にもどんぐりや花で作られた冠を黄金で再現した王冠もあり。
見る者すべてをひきつけてしまうかの様でした。
そのほかにも日用品から装飾品までいろいろと博物館には展示してあり。
骨で作られた装飾品とか大理石で作った装飾品などもあり。
ほんとに古代マケドニアって権力持っていたんだなって実感しました。
というか、これほど過去の文明がこれほどの技術を持っていたなんて。
そっちの方が驚きですよ。
そして博物館の中にはこの地で見つかった古墳がそのまま展示してあり。
< p>この小高い丘の中には4つの古墳が見つかっています。どれもが全く種類の違う古墳。
一つ目はアテネのパルテノン神殿を思わすかの様な柱が4本並んでおり、その奥に小さな部屋があるという感じ。
二つ目は3mはあろうかという長細い石を組み合わせて並べられた古墳。
そして三つ目と四つ目が一番巨大で地中の中に巨大な門があり、その中に2層にわたった部屋が存在します。
これこそが古代マケドニア王国に繁栄をもたらしたフィリッポス2世のお墓。
その息子が広大な大地を支配した大きな要因になった場所なのです。
内部には入ることができませんので、正面の門を眺めるしかないのですが。
その正面の門もあまりに巨大で驚きます。
高さにすると3階建のビルぐらいありますよ。
� ��テネのアクロポリスのような趣があり、4本の柱の上には長方形の屋根が。
上部には壁画が描かれていて、とても見えにくいですけどどうやら戦争を描いた壁画でした。
すべては大理石で作られていて、門ですらその大きさゆえにどのように運んだかとか思ってしまいます。
見た目はやはりギリシャ文明ですから、というか同じ時代でしたね。
アテネの崩壊後マケドニアがギリシャを制圧したんでした。
歴史を知りながらの遺跡見学はとても実のあるものですよね。
残念なことに内部はすべて写真撮影禁止。
ということでポスターカードを買ってそれを写真でとってアップしました。
肥満手術の社会
壁画と黄金の冠がどのようなものかわかっていただけるかと思います。
さて古墳を見終わってから、外部を写真に撮ろうかと思いましたが。
なんと突風に雨が混じっている。
これじゃ写真が撮れないよ。。
傘も折れそうだし。。。
ということで近くで雨宿り。
1時間ぐらい待ってようやく風も雨も収まってきたので遺跡をぐるっと一周。
ほんとに小高い丘があるだけで、よくここに遺跡が眠っていることを突き止めたと尊敬の念を抱いてしまいます。
また周りには一つだけ小さな古墳があり。
こちらも柱が、、、なぜか横に設置されてますけどギリシャ文明の証が残っていますね。
そして博物館を後にして、続いて向かったのはロメウ。
これはマケドニアの古墳の一つで、博物館よりちょっと離れた場所に存在します。
しかもほとんどは地中に埋もれていたために階段を降りてその墓を見るように。
こちらは写真撮影がOKでしたのでようやくまともな墓の写真が。
こちらもギリシャ式の柱に上部が三角で閉じられた形。
フィリッポス2世の墓は上部が長方形でしたが、これとほとんど似ています。
あとは真ん中に扉があったとことや、大理石の色がしっかりとした白であったことが挙げられますが。
大きさはほとんどこれと同じでしたね。
こちらの墓もかなりの権力者のものだったに違いありません。
こうして続いて王宮跡に向かおうとしたのですが、なんと閉まっているという情報が。
ともかくその手前まで行ってみると、中には入れませんが外から見れるようになっていました。
肝心な一番奥には行けなかったのですけど、ここでも数々の礎石が残っています。
王宮というより住居群といったほうがいいのかな。
用水路も見えますし、たくさんの部屋に囲まれた感じに礎石が残っています。
それにしても一番すごいのはこの景色かも。
見渡す限りの草原に囲まれており、大地が遠くまで一望できるのです。
古代マケドニアの王はこの風景を見て権力を確認していたのではないでしょうか。
ほんとにすばらしいところでしたね。
本日は古代マケドニア王国の権力を見させていただきました。
ほんとにびっくりすることだらけでしたね。
こうして本日の観光は終了。
すぐにテッサロニキに戻ってきました。
まあ、宿に戻って写真の整理をして。
日記を書いてぐらいしかやってないけど。
明日は移動。
見たかった世界遺産の一つをようやく見れる時が来ます。
ヴェルギナへのアクセス
テッサロニキのマケドニアバスターミナルからヴェリアへ。
一時間に1~2便あり。
テッサロニキの中心部からマケドニアバスターミナルへ行く場合1番31番で行くことができる。
ヴェリアからはヴェルギナへのバスに乗ること。
こちらは一日数便しかない。
テッサロニキを7時半発、ヴェリアを9時15分発のバスに乗るのが一番便利
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